■ 薬剤師ボランティア活動レポート ■
ライフグループ 毛利衣見
4月21日(木)〜4月24日(日)まで、福島県郡山市にある避難施設「ビッグパレットふくしま」にて薬剤師ボランティア活動をしてきました。
まず最初に、この度のボランティア活動に行く為の休み調整やあらゆる面でサポートして頂きましたタイガー薬局の皆さんに心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
ボランティア活動に参加したい気持ちは、おそらく多くの方々の中にあると思いますが、現実問題難しい場合が多いと思われます。
その中で私には福島県南相馬出身の友人がおり、南相馬市支援ボランティア団体を立ち上げ活動を行っています。尾瀬に住む友人達は、福島県の原発避難者を受け入れる為のボランティア団体を立ち上げたりと、私のまわりには具体的な活動をしている人たちが沢山います。
そこで私にも何かできないかとずっと考えている中で、薬剤師としての力を生かして必要な場所へ行きたいと考えておりました。
そんなとき、埼玉県薬剤師会から避難施設におけるボランティア活動の募集FAXがタイガー薬局に届きました。
私はアウトドアが趣味なので、現地で活動するために必要な道具(寝袋・ヘルメット・ライトetc)がすべて揃っていましたし、車も運転できるし、これは行くしかない!!と強く思い、薬局長の吉田さんに相談して埼玉県薬剤師会の審査にも通りました。
結局現地ではビジネスホテルに泊まり、食事もファミレスや定食屋など埼玉にいるときとなんら変わりない生活を送ることができました。郡山市内は埼玉と同じです。
違うのはビッグパレットの中だけです。
『ビッグパレットふくしま』
郡山市内にあるイベントスペース(多目的ホール)
駐車場800台収容できるかなり大きな施設です。
ここに原発から10km範囲にある富岡町と川内村の方々が最初2000人以上避難されていました。
私が行ったときには1500人くらいに減っていましたが、それでも中には想像以上に沢山の方たちが暮らしていました。
実は募集時には別の避難所に行く予定でしたが、出発1週間前になって急に郡山に変更になったのです。
県薬からは「新しい避難所ができたので、そちらに行ってほしい」という理由でしたが、真相は違いました。
このビッグパレットは震災直後から避難者を受け入れていましたが国はおろか福島県でさえ把握していなかった避難所だったのです。つまり2000人以上の方が避難しているにもかかわらずどこにも見つけてもらえなかった陸の孤島だったのです。
それが約1ヶ月間だったというから驚きです。
その間、この中では自身が被災者であるにもかかわらず救護施設を立ち上げて必死に活動を続けていた方々がごくわずかな郡山の人たちと一緒になって施設を運営していたそうです。
以下4日間の主な活動内容を報告します。
≪1日目≫
3:30 自宅を出発
7:30 郡山駅に到着。新幹線で所沢から来た内田さんと合流。たまたま同じ日程でボランティアを希望した女性薬剤師。なんと68歳。
8:00 ビッグパレットに到着。すぐに全体ミーティングに参加。
埼玉県薬剤師会から派遣された薬剤師がすでに2名と郡山市薬剤師会からのボランティア薬剤師や県立広島病院チームの薬剤師など6名がいました。
現場は地元郡山市のクオール薬局の薬剤師2名が交代で当番しており、薬剤師全体のリーダーとして活躍されていました。
私は右も左もわからないまま、業務内容の把握と薬剤在庫の確認、先にいる埼玉県薬の2名からの引継ぎに追われました。
講堂のような部屋のなかに医療施設が3テーブルあり、その後ろにあります。そこで必要に応じて処方箋が作られて調剤、投薬を行います。
投薬は椅子に腰掛けている患者さんのところまで行って渡します。
私が行く少し前までノロウィルスが大流行していましたが、私が行ったときにはすでに終息状態で風邪や硬いところで生活しているために体の痛みを訴える方やストレスによる血圧上昇などの患者さんが多かったです。
使用薬剤にも限りがあるため、指示された薬がなければ類似薬に切り替えてもらったり(ムコソルバンはないのでムコダインなど)市販薬を代用したりしました。(トローチはないので南天のど飴など)
12:00 お昼休み
13:00 午後一番に保健師さんたちが回るラウンドに同行して欲しいと要請があり、今日の治療薬を握り締めて2階居住スペースに行きました。
吹き抜けになったエントランスにダンボールで区切っただけのスペースが無数に広がり、人一人がやっと歩けるくらいの通路しかありませんでした。
その中で一部屋一部屋に声をかけて回りました。私は調剤薬局の経験しかないため、本当に緊張しました。自分に何ができるか心配でした。
避難者の方たちは自分の薬の管理ができていない人が多く、今飲んでいる薬をすべて見せて欲しいと伝えても袋いっぱいに入った中に何があるのか把握していない方も少なくありません。
そこで必要なのは「お薬手帳」でした。
前にもらった抗生物質で足が浮腫んでしまったと訴えるかたには手帳に記載されていたクラビットが原因とわかり、手帳の副作用歴に記載しました。
ラウンドして指導した内容をお薬手帳に記載することで、次にその方が受診されたときやラウンドに来た薬剤師に今伝えたことを申し送るためにとても重要な作業でした。
ここでは薬歴管理をすることができません。そこですべての情報をお薬手帳に記載することで薬歴管理の代わりとして次への伝達をスムーズに行うことができました。
17:00 業務終了
全体ミーティングと薬剤師ミーティングを終え、ホテルに帰宅。
なぜか翌日からのボランティア薬剤師内リーダーを私が務めることになり焦りました。
≪2日目≫
前日の疲れがかなり残っている状態で朝から慌しく業務を行いました。
1日目に菅総理大臣が訪問したことで、施設内は盛り上がっていました。今日は東電社長が来ると情報があり、またもや盛り上がっていました。
今日で先に来ていた埼玉薬剤師会の2名は終了し、私たち2名がこれからやってくる薬剤師たちに作業手順や内容を伝えていかなければなりません。かなりのプレッシャーでした。
一番辛かったのは、この「引継ぎ業務」です。
ここにいる薬剤師は皆3〜4日の滞在です。それ以外に地元福島からの「午前中だけ」「今日1日だけ」という薬剤師が多く、全員に均等に正しく情報を伝えていくのは困難でした。
それに加え、次々と新しい病院チームが入れ替わり、一緒にDrが使用するための薬剤が大量に運び込まれてきました。
このビッグパレットは今後縮小化していくため救護施設も採用薬剤も縮小化していかなければならないのですが、皆さんの好意で薬剤を持参してくださっているため角が立たないようにしながら採用薬剤を整理しなければいけません。
そこで日本災害医療薬剤師学会からやってきた先生が持参のパソコンソフトで在庫表を薬効別とあいうえお順で作成し、薬剤データの管理をしてくださいました。
今後薬剤が増えたときの追加リストの作成方法なども教えていただき、それを私もその後の薬剤師に伝えました。
今まで日本災害医療薬剤師学会というものを私は知りませんでした。先生いわく、災害時に必要なのは個人の初動の速さと情報収集能力で、そこで薬剤師として薬剤管理やリスト作成をするだけでも現場での医療体制は格段にスムーズにいくそうです。
ipadを使って患者さんにマッサージ方法を教えたり、ハイテク機能を駆使した姿に、ただただ驚きました。
業務自体は1日目と同様に調剤業務とラウンドを行いました。
先ほど記載したとおりお薬手帳の大切さを実感したため、患者さんには必ずお薬手帳を渡し、指導内容を簡単に記載してお返ししました。
手元にない方には取りに戻っていただくか、体が不自由で難しい場合は私が一緒に居住スペースにまで行って、ダンボールと毛布の中で投薬しました。
「差し支えなければ一緒に行って手帳と今飲んでいる薬を確認させていただいてもよろしいですか?」という問いかけにほぼ全員が「来てくれるのかい?ありがとう」と私の手を引っ張り連れて行ってくださいました。
居住スペースは狭く、床は固く、場所によっては寒かったり換気が行き届いていなかったりとさまざまでしたが、本当に貴重な体験だったと思います。
慢性疾患の薬は一度郡山市内の薬局に処方箋が渡り、そこで調剤されたものが施設に戻ってきたものをお渡しするというシステムでした。
ここでも今まで飲んでいた薬と若干違うということでクレームが多かったです。
例) レンドルミン→レンドルミンD、ミヤBM錠→ミヤBM細粒
しかし、渡すときに処方箋があるわけではないので(処方箋はカルテと一体になっているためその場にはない)患者さんとの会話や確認で今までと違いがないかどうか探りながら渡さなければいけませんでした。
もちろん分包機はないので、コンプライアンスに不安のある方は短期のみ施設で分包し、残りは市内の調剤薬局で調剤するという仕組みでした。
3日分だけでも用法が朝夕食後と毎食前の場合15包を小さなユニパックに分けて1錠ずつ切り分けたヒートを入れていくだけでもかなりの時間と労力を必要としました。
≪3日目≫
実は私が参加する前まで薬剤師単独のラウンド行為は控えて欲しいと言われていたそうです。避難所にいる方たちは医師が来て看護師が来て保健師が来て、それだけでもうんざりなのに、加えて薬剤師が来てしまうと負担になってしまうからという理由でした。
しかし前任の薬剤師が積極的に医療チームに働きかけ、ラウンド同行になら参加してもいいという許可が下りたそうです。
その後薬剤師が同行することで薬の専門知識が加わると大きな力になるということが医療チームにも浸透し、今度はチーム側から積極的に参加して欲しいと言われる様になりました。
3日目は看護師チームに同行してラウンドに参加しました。
全部で5チームにそれぞれ薬剤師が1人ずつ入り、より広い範囲で活動することができました。
私も1人の看護師とともに決められたエリアを居住マップを元に回りました。
午前中回っただけでも色々な出来事がありました。
・ 朝ごはんを食べていないから朝飲むメリスロンが飲めないと嘆く高齢女性
・ 咳の薬をもらったが治らないと訴える高齢女性→手帳を確認したところ、結局一種類飲んでいないことが判明
・ 今までアムロジンをもらっていたが施設でノルバスクを処方されたために薬があわないから血圧が上がっていると思い込んでいた男性
他にもありましたが、私たちにとっては日常業務をしていれば何てことないことです。しかし薬剤師が参加することで、すぐに薬の名前がわかりその場で答えられるということに同行した看護師の方は、驚いていました。そしてその後の対応、対策が瞬時に立てられるため非常に効率よくラウンドができたと喜んでいただきました。
他のチームの薬剤師も能力を発揮できたと話していました。
私はこのとき、これまでのことを思い返し本当にここへ来てよかったと実感できました。私が参加したことで少しでも役に立てたと思えた瞬間でした。
おそらく活動する場所が違えばまた違った能力が必要になってくるでしょう。もっと難しいことを乗り越えていかなければならない状態になるでしょう。
津波の被害が大きいところでは緊急医療の知識が必要でしょうし、課題は沢山あると思います。
≪4日目≫
日曜日のため、診療所も休診で患者の数もまばらでした。
【活動を終えて】
ビッグパレットに避難している方々はなぜ他のもっと快適な場所に移らないのか。
ひとつは社会的弱者(高齢者、精神的弱者)が取り残されているため移る力がないこと。施設には驚くほど統合失調症の方が多かったです。
もうひとつは中枢である村役場、町役場ごと避難しているため情報を少しでも早く漏らさず受け取るためです。
皆さんは一時帰宅のチャンスを待っていました。その時が来るまで耐えていたのです。帰りたい家はそのまま綺麗に残っていて、大切なもの、取りに帰りたいものが沢山ある状態で皆さんは着の身着のままで数日だけだからといわれて出てきたそうです。
先日川内村で一時帰宅が開始されたと報道があり、ほっとしました。
しかしこれからも長期的な支援は必要とされています。今までの災害とは異なる継続的な支援が必要です。
私たちにできることを考えるだけでも何かいい方向に向かうかもしれません。
今回の活動で多くのことを得られたと思います。皆さんに伝えることで、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
以上
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